昭和45年8月5日 朝の御理解


御理解 第八十五節
女の身の上、月役、妊娠、つわりに、腹痛まず、腹帯をせずして、産前、身軽く、隣知らずの安産。産後、よかり物、団子汁をせず、産まれた子に五香いらず、母の乳をすぐ飲ませ、頭痛、血の道、虫気なし。不浄、毒断ちなし。平日のとおり。


 これは、女の方に対する金光教の信心をさせて頂く者は、かくなければいけないぞと、これは女の体の上のことについて、いわゆる  女の身上、月役、妊娠といったようなことの上に迄、お道の信心させて頂く者は、かくなからなければいけないぞと。
 頭痛、血の道、虫気なし。これは産後に女の体の上に起きてくる不快な病気というわけではないでしょうけれども、そういうものがいわばつきものと言うけれども、不浄、毒断ちなし、平日のとうりと。
 平日のとおり、しかも、妊娠して十月十日の間には、悪疽もない、ためには腹帯も要らん。
 段々、金光様の信心頂いたら、金光様の云うて下さることが自分の身の上にも、また 一家の上にも、このように金光様の教えがしみ通って、私の方ではこうだと、今までのしきたりとか因習というのがあっても、金光様の御信心の教え通りにさせて頂いて、本当に私の方では、娘も嫁も、例えば 体の上一切のこと。妊娠のおかげを頂いても 真実、隣知らずの安産のおかげを受けておりますというようなおかげを頂くために、これが守られなければならん。
 云うなら、金光大神の御教えがです しみこんでおらなければならないということです。
 なかなか、何十年信心しておりましても金光様の御信心がしみこんでいかない。それとこれとは別ものだといったようにです、そのことだけは金光様の教えて下さる通りにはいきませんといったようないきかたの人もあります。
 けれども、段々段々信心の年数が経つに従って金光様の御信心ぶりといったようなものがです しみこんでいく、親子孫と。言うことすることの中にも、金光様の信心がしみこんでいく。
 これは、私は、だから、今日は、女の身の上のことだけだなくて、お道の信心をさせて頂く者はかくなければならないと言うことをですね教えておられる御教えとして、聞いて頂きたいと思うのです。
 女の方に対する これは、ふつうでは、例えば、今までの習慣とか何とかいう、例えば、一例をいうと 腹帯をせずといったようなことでも、やっぱり金光様の信心しとってもちゃんと腹帯だけはしとる。何十年信心しとって大抵の教えが解っておるようであっても、それをしなければ気持ちが悪いという人たちはたくさんありますよね。
 ですからね、それではね、例えばいちばん最後の隣知らずの安産とか、平日のとおりといったようなおかげのなってこない。
 このことは教えに従うけれども、このことは自分の考えでやるといういきかたでは、いけないということ。金光大神の御教えが一身上の上にも、一家の上にもしみこんでいく。例えば、そういうようなことが、一番極端に表れるのが、例えば、迷信的なことですけれども、それは、やっぱり昔からいうてあることだからというて、結婚に横道吉日を選ぶとか、何の日は良いの悪いのと言ったり、旅立ちに日柄を言うたり、家を建てるのに家相が良いの悪いの言ったりと、そういうようなことを言っておったんではですね、もう本当に金光様の教えて下さるような味のある生活、味わいのあるおかげには、なってこないのですよ。それがしみこんでいかなければ・・・・・。
 金光様の信心しよりゃ、もう日柄やら方位やらいらんばってん、やっぱ見とかにゃいかん。金光様の信心しとっても、そういうようなことを言うようであっては、本当の、いわば信心の味はでらない。
 私、今朝 御神前でですね、本当に美味しそうな、がめ煮という、にんじん、ごぼう、かしわ等で味をつけて、それがもう、本当に美味しそうで、しかも、上品に味付けがしてある。食べたら美味しかろうというような感じのそれを、頂いたんです。
 どういうことだろうかと、まあ私が分かったことは、はぁ これは、ここでは、私のことを亀と言いますけれども、亀とがめとは、たいそう違いはないのですから。ここでは、そんなら、にんじんのような人もあるだろう、れんこんのような人もあるだろう、芋こんにゃくのような人もあるだろう、様々な野菜とかそういうものが、取り合わせられて、かしわならかしわの味がつけてあるという、それを一緒にして器に盛って出すというのが、がめ煮であり、または、うま煮とも言いますが、それなんです。
 ですからね、それぞれがあろうけれども、それぞれがです、いわゆる金光大神の教えというか、金光大神の信心というものが、その味わいがそれぞれについておる。
 ここでいうならば、親先生の信心が自分の一身上のだけではなくて、家族中の者の上に信心がしみこんでおる。そこに、何とはなしに、合楽に御神縁を頂いておる者の有り難さということを、一家中の者が感じれるというおかげ、そういうことだなと、私は思うた。
 その次に頂くのがね、お庭はきれいだけれども、家が実にお粗末であるとか、お庭は見事だけれども、草が茫々と生えておるとか、お部屋は立派だけれども、調度品がお粗末であるとかいうような情景を次に頂くのです。
 だから、それから、そういう風に、又感じさせて頂いて、今日の教典を開かせて頂きましたら、八十五節であった。全然関連が無いような感じだけれども、なるほど、これは、女の身の上、月役、妊娠といったようなですね、女だけの対照ではなくて、お道の信心を頂いておる者、お道の信心を頂いておる家庭、家族の者がです、ここに、金光大神が教えて下さることをです、生活の上にも、身の上にも、それを表していく、頂いていくというところに、味が段々できてくる。
 なかなか、どうして簡単ではない感じですよね、これを頂いておっても、それを行じておるという人はなかなか少ない。
 とこらが、この通りのおかげ、云わは、不浄・毒断無しと平日の通りというように、私は本当に平穏無事というか、何とも言えん有り難い者の中にです、例えばね、母の乳をすぐ飲ませ、頭痛、血の道、虫気なしと、不浄・毒断さらに無しと、平日の通りと言ったような。
 例えば、女の身の上、妊娠、出産ということに対してでもです、まあ女の大役と言われておる、それでも、このような平日の通りのおかげを頂くということになれば、まあ、このことの例をあげるなら、私の家内を言ったが一番いい。
 私ども信心の薄い時にはですねえ、もう、それは長男と長女の時には、まあ難産でしょうねえ。もう、とにかく、勝彦が産まれるときなんか、遺言までする位に酷かった。勝彦はもう、だから、死んで産まれとりましたから、ぼろぎれに包んで隅のほうに放ったらかしちゃった。母親が助からんから、母親のほうに一生懸命だった。
 それが、今考えると、やっぱり信心させて頂いておっても、言うなら、自分の良かときだけの信心、おかげを願うというだけの信心の時代なんです。
 何十年間は、どうぞ商売が繁盛いたしますようにとか、病気が治りますようにとか、その時その時に、只お取次を頂いてお願いをする。なるほど、おかげを頂いてまいりきましたけれどもです、今から考えてみると、大変なおかげを受けたものだなと、こう思います。
 三番目の愛子が妊娠のおかげ頂いて、大きなお腹してましたから、北京から、私ども引き揚げて帰って参りましたが、その頃から、私の信心、家内の信心が本調子の、いわゆる、本当の信心になってきたということ。いつも私が申します通り・・・・・。
 愛子なんかは、赤ちゃんが逆産であった。もうけれどもですねえ、それは、もう本当に不思議な不思議なおかげを頂きましたですねえ。もう、あの愛子の時から、いわゆる悪疽もなければ隣知らずの安産でした。
 愛子から以下五人の子供は、もう、隣知らずの安産、昨日も久富先生が言うていられましたがた。もう、とにかく不思議なこつじゃある出産のお願いに来たときに親奥様にお会いすると、必ず安産のおかげを頂くと言われる位、まるきり、安産の神様のごと、今頃、合楽の方達は申します。
 今頃からも、椛目の宮崎さんが、非常に難産の傾向があって、困っておりましたが、そのことを聞いてお願いに来た。
 とこらが、その時に限って私ども夫婦で宅祭かで出てきておりました。それで、まあ奥様に会えんのが残念というて思うて帰りよるところへ、私ともが帰ってきたとのと、玄関で会うたのが一緒、「ああ、これでおかげ頂いた」と周囲の者が、本人は知らん。もう、それこそ隣知らずの安産のおかげを頂いてお礼に出て参りました。
 というようにですね、まあ家内自身がおかげを受けておるということが、例えば、周囲の人に迄潤う程のおかげを受けておる。このことだけは、もう、それを守り抜いております。腹帯なんかをかけたことも有りません。
 金光大神が教えられた通りのおかげを頂いてきておる。
 もう本当に、それは、生まれるというてもですねえ、もう最後の頃なんか、むしろ、快感を覚える位な出産でしたと、自分で申しております。
 そんなら、やっぱりお産の軽か人と重か人とあるというけれども、前二人はそれこそ命がけね出産でした。けれども、段々信心が分からせて頂くようになり、金光大神の教えられておることを、本当に身をもって表して行くようにならせて頂いたら、そういうおかげが受けられておるという訳なんです。
 ですから、これは、女のそのことだけ、身の上のことだけですけれども、そんなら、これを、こう少し大きく頂いてです、このように金光大神が教えられることを素直に自分の一身の上にも、一家族の上にも頂いて行ったらです、やはり、ここに出産の上に隣知らずの安産とか、平日の通りとかいったような、おかげが受けられるはずだと、私は思った。
 今朝から頂いたことから考え合わせてです、これは女性の方だけが頂く御教えじゃないなあ、これは皆さんが頂かねばならないなあということなんです。
 例えば、難しいことを、難産と申します。例えば、事業とか商売にどんな難しいことがあってもです、そんならこの御教えに出てくるように金光大神の教えがしみこんでおるような生き方をもってするならば、そこに無事安産のおかげが受けられる。
 今、むつ屋の信司さんが来ておりますが、もう、ここ二・三年前だったでしょうか、もうそれこそ、これでむつ屋がしまえるかもしれんという程しの大変なことが起こってきた。兄さんの茂さんと二人で、私が奥の間に居りましたら改まってお願いに出て参りました。だから私は、信司さんに申しました。「もう信司さん、お母さん達も亡くなってしまって、いわば、あんたが中心、兄さんとあんたでこうやっておかげを頂いておる、いうなら、しかともない店は、もう、潰してしまっても良かじゃないか。」と私が・・・・。
 腹を決めなさい、潰すまいと思うからじゅずない。そして、私が言う通りしなさい。親が言う通りすりゃおかげ頂くなんてん、けちな考えじゃない。親先生が言う通りすりゃ、もう潰れんならんごたる状態にある。 ある事件でしたから・・・。
 兄弟の腹が決まった。とにかく信司君、そんなら、親先生がおしゃる通りにして、おすがりしようじゃないかと、それこそ、頭痛もなければ、血の道もない、血気もなければ、不浄・毒断無しというごと、そのことについてだけはおかげを受けました。
 いわゆる、それこそ産まれるときには、安産のおかげを頂いて、それこそ、赤飯炊いて祝わんならんごたるおかげでしたよ。
 だから、そのことを頂くということは、ある意味で、やはり、腹を決めなければならないことではありますよ。だから、そういう意味でですね、私は今日頂きますがめ煮、いわゆる、むつ屋ならむつ屋という店の上にです、私の信心が浸透していっておる。
 味がついておった、勿論、久保山のほうには、それこそ、しみこみすぎる位しみこんでおるのですからね。
 ですから、親先生が右と仰れば、もう右と腹を決めると、もう信司君、潰したっちゃかまわんじゃないか、親先生が仰る通りしてから、腹決めて、あれ頼み、これ頼みというのは止めてから、神様一心で行こうじゃないかと言ったら、もう本当に手のひら返すようなことが起こってきたんですよ。事実の上に・・・・。
 そして、最後は赤飯炊いて祝わにゃおられん程しのおかげになってきた。
 ですからね、それが部分的なことではなくて、全てのことに、そうあらなければならないというのです。親がどんなに立派な信心しとるというても、そんなら、庭に、この石だけは名石といわれるような、大きな庭石が置かれましても、他に置かれておる石がつまらなかったら、もう、その石は死んでしまいます。
 よし、石は揃うておっても、その庭が草茫々としておったら、もう名園の値打ちはありません。庭だけが立派であっても、家がつまらなかったり、調度品が悪かったら、もういけません。
 どんなにお城のような家を建てても、庭がお粗末であったら、もう、その家は引き立ちませんようにです、全てが、かかわり合いのもの全てが、立派でなければいけないということを、金光大神の御教えがです、例えば、親たち夫婦は勿論のこと、子供・孫達に至るまで、そうであらなければならないという程しに、お互いしみこんでいきよるかどうか、がめの味がそれぞれの味わいの中に・・。家の中でもね、同じ兄弟でも、いよいよ違います。
 昨日、東京から稔さんの子供が夏休みで来とりました。何日しかならんのに、もう帰る帰るという、キャンプに連れて行ったりなんかするけれども、もう早よう帰りたいと、「孝おじさんが、キャンプに連れて行ってくれた。僕は、東京のお父さんの顔を忘れよる。それけん、お父さんと孝おじさんは兄弟じゃけん、おじさんを見て思いだそうとするばってん、もう忘れよる。」と言うてから、言うそうですもん。
 というようにです、同じ兄弟でも、お父さんと孝おじさんは似とらんて、だから孝おじさん見よたっちゃお父さんの顔思いださんて、と言うて帰りたいと言うておるそうです。
 というようにですね、家に中には、例えば、そんなら、決して、芋なら芋、人参なら人参という訳にいかん、。人参もおれば、ごぼうもおる、こんにゃくもおれば、竹の子もおるというように、いわば、がめ煮に入れなきゃならないもののように、様々なものが・・・・・。
 けれども、そこに、がめならがめの味をもって統一するところに皆んがおいしゅうなってくる。ですから、なかなかそういう信心は、一辺に出来ようとは思いません。けれども、それが一人の上に、その味がしみこんでいくようなお繰る合わせを頂かねばいけない。
 それを、私は今日、八拾五節を頂いてから一番適切と、こう思いましたね。このように、金光大神の教えがしみこんでいけば、このような皆んなが願ってやまない。平日の通りといったような、例えば、妊娠して、悪疽知らんといったような、おかげを頂くということはです、それは、家庭の上にも、商売の上にも、事業の上にも、家庭円満の上にも、この通りのおかげが受けられるということになる。
 昨日、やはり、東京の寿磨子さんが、二人子供を連れて、やっぱり、夏休みで帰って参りました。息子が小学校二年生になります。なかなか、気の利いた頭のよい息子です。
 昨日、母親が言うのです。このごろ、親先生が東京へ来て頂いた時に、というのが、丁度 私が二階であちらの御両親とお話をしておるところへ、孫達も上へ来てから、挨拶に出て参りました。合楽からも皆んなが来とりましたから、亜紀雄と言いますが、「この子が、おじいちゃんのあと継ぎはするのですよ。」と、そう申したんです。
 「亜紀雄ちゃんが、おじいちゃんのあと継ぎはするね。」と、私が申しましたら、もうこのごろはね、僕は警官になるとか、自衛隊になるとか、言いよったそうですが、ところがもう、その日からね、「僕は、お寿司屋さんにならねばならない宿命だ。」と言うたそうです。そして表から、職人達のやってるのをじいっと見とるのだそうですもん。「なにを見とるの?」と言うたら、「寿司を作っとるのを見とる」と。「僕も、やっぱ、寿司屋にならにゃならんから。」と。「どうして、一辺にそげんなったね?」と言うたら、「このごろ、親先生が来たときに、この子は、おじいちゃんのあと継ぎをするというたろうが。だから、僕はそれで腹が決まった。」と申しますと、寿磨子さんが申しております。
 小さいそういう子供達に至るまでがですよ、親先生が言うたことは、もう自分の一生を変える位に、はっきり頂いておるということです。味がしみこんでおるということです。
 親先生の一言というものは、それは金光大神の一言としてです、子供ながらも、それを実感しておるということです。私は、味がしみこんでいくということは、そういうことだと思います。
 親は熱心に信心しとるけれども、子供達は、親先生はどう言いなさるかとも言わん。自分達の勝手、親が親先生におうかがいしてからと言うたっちゃ、いいや僕は僕たちの生き方でいく家庭が多いです。しみこんでおらんのです。
 ですから、本当にそこのところの、私はおかげ頂くということが、今日八十五節に表れてくる程しの、いわばおかげ、これが、月役、妊娠、女の身の上のことだけなんだけれども、これが、私どもの一身上、又、私ども一家の上にです、こういうおかげが受けられてくるということなんです。
 だから、合楽では、段々有り難いことには、一家をあげて、とにかく親先生がいつも中心、いわゆる金光大神がいつも中心。
 昨日も頂きますように、「金光大神助けてくれ。」といえば、おかげをやるとおっしゃるが、合楽では、親先生と言っただけで、おかげを頂いておるということは、親先生と金光大神、天地金乃神の一貫性ということを、昨日申しましたが、同じ意味なんです。
 だから、いつも親先生の信心の味わいというものが、一人一人の子供達の上にでもしみとおっていく。いや、親戚に迄もそれがしみ込んでいくところにです、本当のがめ煮の味わいというものが、出てくるのじゃないでしょうか。
 今、例を申しましたから、そういう家庭が合楽には、段々出てまいりましたが、今の上野さん一家のことをいうてもいいです。
 もう二十年近くも前のことでした。もうそれこそ、大変な難儀な問題で参ってまいりました。というのは、大体長男ですけれども、ある事情で別れてある。それで本家は、弟さんがとってある。子供さん達は七人です。もう皆んなは学校に行っておってお金がかかる時、それでも、他の家に間借りをしておられましたけれど、そこを追い出されかかっておられる、そこで、家の御都合、お繰り合わせを頂くこと、万事その時の難儀な問題をいっぱい持ってです、お参りしてみえられたのが初めてです。
 ある教会に、大体御神縁を頂いておられたのですけれど、おかげを受けられんので、椛目の草創の時代にお参りをしてみえられました。
 もうそれこそ、一生懸命の、一家中あげて鳥栖から、ずうっと自転車で親子三人、四人、場合にはお参りしてきました。その当時、おかげを頂いて、二階借ではありましたけれども、家が丁度追い出されるすれすれの時に、二階を借りることができまして、ついこの頃まで、その家に住んでおりました。
 今、四人と娘三人おりますが、七人居るわけです、もう、その一人一人の子供達の上にです、それこそ、ここの信心の味わいというものが、ずうっと味わいが出てきておる。
 もう、勝之さんの就職の時にしろ、この頃からの結婚の問題にしろ、もうそれはそれは、親先生にお任せしきっての、不思議な不思議なおかげを頂いております。
 二番目の息子が佐賀大を出て、伊万里の田舎の方で、学校の先生をしとります。もうそれこそ、日曜たんびに、子供達一人一人のことを、お届を致します。それは、もう大変なおかげを頂きます。
 三番目が、防衛大学に入学しり時なんかも、もうほんなこて、条件にゃ及ばんごたるおかげ、頂いとるです。そして、あちらを最優秀で卒業して、今、久留米の自衛隊に帰って来とります。
 それから、四番目の息子が、昨年大学を落ちまして、今、浪人で一生懸命、勉強しとります。
 長女は、ブリジストンのゴルフ場に勤めとりました。そのゴルフ場に勤めとる時に、今の東京の双葉の息子さんが、久保山にみえられて、そして、ゴルフ場にいって、見初められてもらうことになった。その当時、まあ、大変な玉の輿だと、皆んながいう位でした。同じ寿司屋というても、天皇陛下に、お寿司を握ってあげる程の人ですからねえ。
 二番目の娘が、専売局に勤めておって、そこで嫁入った。三番目のが、現在嫁入って、五島の方に行っております。
 例えば、上野一家なら、上野一家のことをいいましてもね、一人一人のこと、いうなら、それこそ一時間二時間じゃ話されんごたる。
 只、私が有り難いと思うことは、今言うたように、子供一人一人が、何処におって、何をしておるということが、私に分かっておるということなんです。いうなら、孫達までが、現在どうということが。例えば、作文が良うできたというたら、東京からこちらへ送ってまいります。子供達が、今どういう程度、御勉強しよるという程度迄、分かっていることなんです。
 そして、そんなら、親先生が初めて東京へ行って、この子がおじいさんのあと継ぎをしますというたら、それっきり、たった二年生の子供の考え方が、変わってしまっておるということです。
 親先生が、ああ言うたから、僕はやっぱりおじいちゃんのあとを継がにゃいけんのだと、こういう訳です。
 というようにです、それぞれに・・・、問題はあります、いろいろ、けれども、その中に、金光大神の御教えというか、合楽の信心というか、いうなら、親先生の味わいというものが、ずうっと浸透しておるということなんです。
 今日は、上野さんのところに、この御理解を当てはめて言いよりますが、合楽では、そういう人達が、段々増えてきたということなんです。ですから、もう、親先生抜きにしては、上野一家が立ち行かんのです、という程しのところ。そこにね、例えば、がめ煮的な味わいというものが、それぞれに味がついていきよるじゃないでしょうか。嫁にやっとるのも、いよいよの時には、親先生というてきよるから、安心でしょう。
 息子達が四人おりますけれども、まだ、それぞれが**しておりません。まだ、家別れも出来ておちませんけれども、それぞれに、最高の学問を身に付けさせて、おかげを頂いている。
 しかも、その一人一人がです、もう、どれというて信心の上でです、屑がないです。もう一事が万事合楽にお願いして、「先生はどげん言いなさったか。」というところから、割り出されてくるという生き方なんです。
 長年、信心はしよっても、立派な信心、例えば大きな岩で立派な石だけれども、その他んとがつまらんけん、その石まで死んでおると言ったような家庭もないじゃありません。
 長年、信心はしよっても、そげんとこまで親先生が言いなさる通り、いやお伺いもせずにしておりますから、どげな事しよるやら、私も全然わからん様なこと。だから、いよいよいかんごとなってから、お願いに来るような場合もあります。だから、それではいけん。そういう子供達、孫達の上にまで、合楽の信心がしみとおって行く、家庭中の中に、そういうおかげを頂いていって、初めて本当の味わい、甘煮がそれぞれの味わいを出して、生かす合って甘煮のおいしさが出来ていく。家は立派に出来ても、まだ、庭が出来とらん。庭はできたけれども、家の方ははつまらん。いや、庭はできとるけれども、草も茫々といったようなことではないおかげ、ですから、又ここで頂かなんことは、一切を家庭を上げての親先生まかせの生き方というものを、身に付けていきよると同時に、いわゆる、庭に、例えば、立派な家ができた、庭ができても、庭の手入れ、家の手入れ、草とりということには、こりゃ、何時も心掛けおかなければならないことな勿論、ね、信心はそんなもんだ。
 こういう基礎がもうできたから、それで良いというものじゃない。もう全てが、親先生の言いなさる通りにしときゃ良かと言うて、磨きもせん、改まりもせんというた様なことでは、いけないということなんですよね。どうぞ。